貴乃花親方を引退に追い込んだ相撲協会の一門加入強制化は10年後に深刻な影響を及ぼす

2018.10.2

社会

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貴乃花親方を引退に追い込んだ相撲協会の一門加入強制化は10年後に深刻な影響を及ぼす

写真/J. Henning Buchholz Shutterstock.com

貴乃花親方の「引退」により、またしても世間の注目を浴びることになった相撲協会。果たしてなぜ、貴乃花親方は「引退」することになってしまったのか。その引き金として注目された、7月に相撲協会が決定した「一門」の加入強制化とは一体どういうものなのか。わかりにくいこの問題について一門の構造に触れながら、貴乃花親方と相撲協会の対立の構造を解説しようと思う。

貴乃花光司(たかのはな こうじ)

本名は花田光司。1972年8月12日生まれ、東京都杉並区出身。二子山部屋(当時は藤島部屋)に入門当時からその優れた素質が話題となり、数々の最年少記録を打ち立てた。生涯戦歴は、794戦262敗。幕内優勝22回、殊勲賞4回、敢闘賞2回、技能賞3回など第65代横綱として数多くの記録を残す。一代年寄・貴乃花として貴乃花部屋の師匠を務め、日本相撲協会理事および地方場所(大阪)担当部長を歴任。

 

2017年11月場所中に起きた元横綱・日馬富士による弟子・貴ノ岩への暴行事件に際して、相撲協会への報告を怠り、協力も拒否したとして理事解任される。一方で貴乃花は相撲協会の対応を問いただす告発状を内閣府に提出。翌2018年、弟子・貴公俊が付け人に暴力を振るったことが発覚、告発状を取り下げた。2018年9月、日本相撲協会を退職し引退。

理事選に絶大な力を発揮する一門

大相撲には「一門」と呼ばれる“派閥”に属し、一門ごとに部屋や親方、力士や裏方といった相撲に従事する者がいるという構造である。

かつては場所の間に行われる巡業をある一門単独で実施したり、1965年までは同じ一門に所属する力士同士の対戦が行われなかったりと、非常に強固なつながりが存在していた。現在でも出稽古をする際、基本的には同じ一門の部屋に向かう傾向は強く、また一門内での連合稽古を場所の直前に実施することもある。必然的に関係性が深くなることから、冠婚葬祭については大物を除いて一門の中でのみ参加することを求める親方も存在するほどだ。

そして、そのつながりの深さを最も象徴し、一門の最大の存在意義として目されているのが、理事選での協力関係である。理事の定数は10人で、各一門から誰を候補者として選出するかを決定する。選挙において親方衆は自身の所属する一門の候補者に投票することになるため、当然大規模な一門が多く理事を選出することが可能だ。理事の数が多ければ多いほど協会内での発言力も高まることになる。

一門一覧 ※()は部屋数[2018年10月1月現在]

  • 二所ノ関一門(15)
  • 出羽海一門(13)
  • 時津風一門(8)
  • 高砂一門(5)
  • 伊勢ヶ濱一門(5)
  • 阿武松グループ 消滅
  • 無所属 消滅

一門への所属義務化で窮地に

さて、先の貴乃花親方の引退騒動についてもこの一門の存在が大きく作用している。貴乃花親方は「貴乃花一門」を率い、今年2月の協会理事選に一門から2名の理事候補者を擁立していたのだが、結果は阿武松(おうのまつ)親方のみ当選。

貴乃花親方の得票はわずか2票。当時5部屋のみの在籍だったことから、2名の理事を当選させるには一門外からの投票が必須だったのだが、暴行事件に端を発する降格人事により貴乃花親方の求心力が低下したことが致命傷となり、理事への返り咲きを果たすことは出来なかった。

そして、一門という存在がさらにクローズアップされる決定が7月に為された。相撲協会が、協会所属の各親方に一門への所属を義務化したのである。1998年に高砂一門を離脱する形で高田川部屋がそうしたように、歴史的には一門に所属しない部屋も存在してきた。そしてそれをとがめる内規も存在しなかった。

今回の一門加入強制化の理由として、任意組織である一門への助成金支給はコンプライアンス上問題であることが公表されたのだが、貴ノ岩暴行事件による処分と理事選落選に加えて、内閣府への告発状の提出や貴公俊の付き人への暴行事件によるさらなる降格処分を受け、トラブルメーカーであり協会内での立場がさらに厳しくなった貴乃花親方にとってこの決定は大きな痛手であった。

一門が貴乃花部屋を受け入れるには、“告発状の内容を事実無根とするように”という、有形無形の圧力を受けたという貴乃花親方の主張があったが、こちらの真相は藪の中である。

貴乃花親方は一概に“善”とはいえない

断っておくが、これは、貴乃花親方という善なる者が相撲協会という悪にはめられて失脚したという悲劇ではない。問題発生後に然るべき報告を怠り、警察に通報することでいたずらに問題を悪化させ、問題の一端が自分にありながら権力を求めて理事選に出馬して落選。さらには暴力の排斥を訴えて世間の同情を引きながら、問題が沈静化せぬなかで自らの弟子が付き人に暴力を働くという指導力――。

残念ながらこれが、事実に基づく貴乃花親方なのだ。

報告が出来ないほど相撲協会がひどいという見方もあるだろう。そして、このタイミングで理事にならなければ逆転のわずかな望みさえもついえる可能性があったという考え方もあるだろう。また、弟子の不祥事はあくまでも弟子の起こしたことだという主張もあるだろう。

しかし、世間を巻き込んで騒動を起こしたにもかかわらず、善に成り切れない状態で主張を繰り返し、事態を悪化させてしまった。結果として彼の愛する大相撲を改革出来なかったどころか、この話題は単なるワイドショーのネタにしかならなかったのだ。

貴乃花親方が処分を受けるのは致し方ないことだ。それだけのことを犯している。組織に所属しているのであれば、組織のルールに基づき、筋を通し、事を進めねばならない。しかし、貴乃花親方はリスクを冒し、相撲協会と闘う道を選んだ。リスクを冒している以上、この闘争に勝利できなければ処分を受けることは避けられなかった。そして貴乃花は敗れ、処分を受けたのである。

完遂された「貴乃花親方抹殺計画」

貴乃花親方にはもっと別のやり方があった。闘うのであれば組織の中で一定数の味方を作り、正当性を担保せねばならなかった。相撲協会に反撃される隙を与えてはならなかった。ただ、貴乃花親方の落ち度を差し置いても、相撲協会のやり方はないと私は思う。そう。この話はあまりに良く出来ているからだ。

貴公俊暴行事件による降格から2カ月足らずで貴乃花一門瓦解。さらにそこから1カ月というタイミングでの一門加入強制化。まるで誰かがこの一本道を作っていたかのような錯覚を覚えるほどだ。そしてその後、貴乃花親方に対する有形無形の圧力を掛け、一門への加入もしくは処分への道を選ばせたのだとすると、先の一本道に続く筋書きではないかと思う。

相撲協会が裏で糸を引いていたか否かは分からないが、結果的にこの「貴乃花親方抹殺計画」は見事なまでに貴乃花親方を追い込み、相撲協会が自ら手を下すことなく引退させることに成功した。

誰も知らない貴乃花の改革

貴乃花親方は改革派だといわれている。しかし、彼が具体的にどのような改革をしたかったかを知る者は誰もいない。私もそこが気になり、日刊紙の相撲記者や元力士、専門誌の編集長など聞ける限りの方たちにヒヤリングを重ねたが、まったくわからなかった。

そもそも理事を務めていたときに改革案を出したことは一度もなかったとさえ聞いている。つまり、この対立そのものが改革派の貴乃花親方と保守派の相撲協会による対立という構図そのものが不明瞭ということだ。

結局のところ、事実だけを考慮するとこれはイデオロギーの対立というより貴ノ岩暴行事件に端を発する形で発生した貴乃花親方と相撲協会の政争ということで理解しておくべきなのかもしれない。

相撲協会が変わらないことは10年後に深刻な影響を及ぼす

私は相撲協会が変わるべき点、変えなければいけない点は大きく分けて2点あると考えている。中長期的な視点で協会をどう運営するかという視点が欠落している点と、世間の感覚と著しく乖離しているという点だ。

八百長問題、賭博問題、暴行問題といった数年前の一連の不祥事の際、相撲協会は主に後者の点において変わることを求められた。前時代的で浮世離れした大相撲と力士たちが起こした問題の数々は世間からの反発を招き、信頼は失墜した。

»なぜ横綱に「品格」が必要か

相撲協会はここで、さまざまな信頼回復策を講じた。現場の力士たちは積極的にファンサービスに応じ、本場所や巡業のサービス品質は飛躍的に向上した。彼らの姿勢には本当に頭が下がる思いだった。取組以外にも求められる負荷が高まったのだから。

ただ、現場は変わったのだが、相撲協会はこの数年でまったく変わってはいなかった。貴乃花親方に関する騒動の中にも、ファンの視点は無かった。落ち度はあるにしても、大相撲の功労者である貴乃花親方の処分に対して世間が納得するロジックを持たせる必要があった。少なくとも取って付けたかのような「金の流れを透明化するため」などという理由で、そしてこのタイミングで一門加入強制化すべきではなかった。世間との感覚の乖離というのはこういうことである。

元横綱日馬富士による貴ノ岩暴行問題で世間の相撲に対する信頼は失墜した。そして、貴乃花親方の引退で地に堕ちたイメージはさらに低下することになった。

しかし、本当の問題はそこではない。一連の不祥事は、観客動員に影響しないということである。

ここ一年で、観客動員は低下していない。そして、テレビの視聴率も影響が出ていない。不祥事が起きようとも、体質が変わらなくても、大相撲は見始めれば結局、楽しいコンテンツであり、他に代えの利かないエンターテインメントなのだ。

私は相撲協会の目を覚ますために、相撲ファンに対して大相撲中継を見るな、ということを言いたいわけではない。そんなことを主張したところで、多くの方の心には響かないことだろう。そして、観客動員に影響が出ていないことをいいことに、相撲協会は変わらないことだろう。

今は既存の大相撲ファンがその楽しさを知っている。数年前に観客動員が低下したのは、八百長問題によって相撲そのものの質が低下したことが大きく作用していたからだ。今は現場がケガを負いながら土俵を守り抜いている。そういう姿勢がファンをつなぎ止めている。

恐らく、相撲協会が変わらないことが深刻な影響を及ぼすのは10年後だ。「巨人・大鵬・卵焼き」(昭和の人気者)の頃からのファンの多くがこの世を去ったとき、新規ファンを獲得できなければその分、国技館の空席は増えてしまう。そして、視聴率にも影響することになる。今、世間の信頼を失うことは中長期的な視点で大相撲を揺るがしかねないことを肝に銘じねばならないのだ。

変わって欲しい。しかし、変わらないだろう。

大相撲は大好きだが、私は相撲協会が心の底から嫌いだ。その想いを覆してくれる時代が来ることを切に望んでいる。