政経電論〈政治・経済を武器にする“解説”メディア〉

[佐藤尊徳が聞く あの人のホンネ]

映画監督・作家 森達也「トゥルース(真実)に揺るぎない自信を持つことは危ない」いま必要なメディア・リテラシー[2]

2017年07月18日
読了時間: 14分00秒

写真/芹澤裕介 文/唐仁原俊博

現代のメディア・リテラシーについて、ドキュメンタリー映画監督・作家の森達也氏と尊徳編集長が意見を交わす対談[第2回(全3回)]。

»第1回「メディアは受け手の望む視点を選ぶ」

米大統領選をきっかけに、多くの人たちがフェイクニュースの存在に気づいた一方で、フェイク(うそ)に呼応するようにトゥルース(真実)が突出。

為政者やメディアが掲げるトゥルースは、誰の真実なのだろうか? フェイクとの違いは? 人々がおかしいことに気づき、声を上げるためには何が必要なのだろうか――。

森達也プロフィール森 達也(もり たつや) 1956年、広島生まれ。映画監督、作家。1998年、内側から見たオウム真理教に迫ったドキュメンタリー映画『A』を発表、ベルリン映画祭に正式招待される。続編『A2』は山形国際ドキュメンタリー映画祭にて審査員特別賞、市民賞をダブル受賞。2006年、テレビ作品『森達也の「ドキュメンタリーは嘘をつく」』が、日本民間放送連盟賞・特別表彰部門「放送と公共性」で優秀賞を受賞。2011年には書籍『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞。2012年にドキュメンタリー映画『311』、2016年に『FAKE』を発表。近著に『同調圧力メディア』(創出版)、『不寛容な時代のポピュリズム』(青土社)など。7月21日(金)から放送の連続ドラマ「デッドストック~未知への挑戦~」(テレビ東京、深夜0時52分)ではゲスト監督を務めている。 »公式ホームページ »Twitter

「テロ等準備罪」で日本のドキュメンタリーが面白くなる!?

尊徳 7月11日に施行された「テロ等準備罪」(改正組織犯罪処罰法)について、「日本ペンクラブ」など表現者の団体も反対の声を上げていましたね。ドキュメンタリーも表現のひとつですが、「テロ等準備罪」によって萎縮してしまうと思いますか?

 僕は今、シンポジウムなどに呼ばれたら、「これで日本のドキュメンタリーなど表現活動は面白くなります」と話しています。もちろん半分は皮肉だけど、半分は本気です。

いろいろな国のドキュメンタリーを見ています。ちょっと前まで一番面白かったのは中国だし、イランはずっと面白いし、ミャンマーが面白い時期もあった。要は、適度な抑圧、圧力があると、表現はそれに対して先鋭化するということです。

尊徳 表現に限らず、ジャーナリズムもそうかもしれない。

 抗する力が生まれますから同じですね。ただ、中国国内では体制批判的なドキュメンタリーは上映できないし、北朝鮮のような体制下では、そもそもドキュメンタリーをつくること自体が無理になってしまいますが。

尊徳 これまでの日本は、わかりやすい圧力はありませんでしたけど、逆にメディア側が自主規制していた面があるんじゃないですか。

 そうですね。圧力以前に自分たちで規制してがんじがらめになっていて、しかもそれを自覚していない。だからつまらないものばかりだったんでしょう。

今の「テロ等準備罪」の報道を見ていても思うんですが、いよいよ成立するかという段になって、ようやくメディアが声を上げ始めた。僕はあれがすごく不思議でした。

尊徳 いまさら何を言ってるんだ、ということですか?

 そうです。安保法制にしても、「テロ等準備罪」にしても、安倍政権が2014年の衆議院選挙で圧倒的多数をとった時点で、結果は想像できるはず。でも、今になって騒ぐということは、メディアは本当にわかってなかったのかなと。

尊徳 気づいてないわけないと思いますよ。マスメディアの人たち、地頭はいいですからね。でも、わかってる、わかっていないかは別として、自分に都合のいいように導線を引いていますよね。彼らは基本、エスタブリッシュメント(既成の社会秩序や支配階級)。だから変化を望まず、安定を望む。

たとえば、ドナルド・トランプが大統領選に当選したのは、アメリカ国民が変化を求めていたからです。でも大メディアは国民の声に気づきながらも、「ヒラリーが圧倒的」と報道していた。だって、トランプが大統領になったら既存の大メディアは困りますから。

森達也

表現ににじむメディアの意識の足りなさ

 そういえば、2014年の参院選まで、メディアは"ねじれ国会"という言い方を盛んにしていましたよね。"ねじれ"って言われると解消しなきゃいけないと感じませんか。

尊徳 確かにそうですね。放置しておくと良くない感じがする。

 じゃあ、二院制は何のためにあるんだろうと思っていた。衆院参院で同じ党が優勢ならば、法案がどんどん通ることは当たり前です。まあ確かに、衆院参院で第一党が与党と野党だと、法案がなかなか通らなくなる。だから議論する。少なくとも"ねじれ"という形容は違うと思う。そうしたことを考えても、やっぱりメディアの意識の足りなさみたいなものを感じますね。

尊徳 メディアの意識といえば、『FAKE』でおかしくてしょうがなかったのが、佐村河内守さんをバラエティー番組に呼びたいということで、テレビのディレクターが顔をさらして出ていたじゃないですか。そのあと、実際の番組を見てみると、彼らが佐村河内さんに対してうそをついていたことがわかる。

もっとも、佐村河内さんが出演をOKしなかったから、結果的にそうなったのかもしれないけど、彼らは顔を出して恥ずかしくないのかなと。映画の中で森さんが「あの人たちには信念も何も無い」と話していたけど、まったくそのとおりだなって。

 あの時期、佐村河内さんへのメディアの取材依頼に対しては、撮影に応じることを条件にしてもらっていたんです。さすがにOKするメディアは無いかなと思っていたので、撮りながら僕も不思議でした。

『A』や『A2』のときも感じたけれど、メディアは撮られることに対してはとても無防備です。これを言い換えれば、撮られることがどういうことかをよくわかっていないのだと思います。つまり自分たちの加害性に気づいていない。

森達也

私たちは恐怖を煽られているのではないか

 「テロ等準備罪」について、もうひとつ考えるのは、世論の誘導が露骨だな、ということです。これまで「共謀罪」という名前で国会に提出していたときは通らなかったけど、「これは"テロ等準備罪"なんだ」と"テロ"という言葉をつけたら通ってしまった。つまり、背景にあるのは、テロに対するおびえですよね。

尊徳 いろいろ問題があると言われてるけど、テロに対処するためならいいじゃないか、と。

 安倍政権は一貫して、不安と恐怖をうまく利用していると感じます。煽っていると言ってもいいかもしれない。

2015年の安全保障法制のときには、「日本をめぐる安全保障環境は戦後最悪になりました」とか、「スクランブル(領空侵犯に備えるための戦闘機の緊急発進)の回数はこんなに増えてます」と安倍首相は記者会見で言明しました。でも、その当時よりも冷戦期のほうがスクランブル回数は多かったし、旧ソ連の核ミサイルであるSS-20は、日本の米軍基地に何十発も照準を定めていた。

これほどに日本をめぐる安全保守環境が悪化したと政権は頻繁に言うけれど、もっと最悪な時代をこの国は乗り越えてきたし、その時代に憲法を変えろなどの声はほとんど上がらなかった。

為政者とメディアの思惑が一致してしまっている

尊徳 煽られると、国民は強い政治家を求めますね。

 9.11直後のブッシュ政権がその典型です。あるいは今、欧州で支持率を伸ばしている右寄りの政権もそうですね。テロの恐怖を煽り、移民によってわれわれの生活は脅かされるとプロパガンダする。

北朝鮮の現体制はアメリカの恐怖を煽り続けます。ナチスはユダヤ人の害悪などを煽りながら、このままではゲルマン民族は滅ぶことになるとのプロパガンダを行いました。その帰結として強い政治家への支持率は上がり、強硬な法案が通しやすくなる。

この構造はメディアも同じで、視聴者や読者の不安と恐怖を煽れば、視聴率は上がり、部数は伸びる。だから今、為政者である安倍政権とメディアの思惑が一致してしまっている。

尊徳 そして、森さんが言うところの"集団化"が進む。

 そうです。不安や恐怖が肥大するからこそ、多数派に所属することで安心を得たいという気持ちが大きくなっている。

尊徳 そこで考えることをやめちゃうんですよね。

 最近では、政府が北朝鮮の弾道ミサイル落下時の行動についてCMを始めました。6月23日から2週間という期間は、都議選の選挙期間中に重なっている。とても露骨でわかりやすいんだけど、そういう行為に対する反発の声はあまり大きくならない。みんなが麻痺しているのか、慣れきってしまったのか。

6月23日~7月6日の2週間、在京5局で弾道ミサイル落下時に備えるCMを放送。ほか、新聞やネットでも同様の内容を広告。総費用は4億円近くになるという。森達也政府インターネットテレビより

冷戦期のアメリカで『Duck and Cover』(1951年)という子ども向けのアニメ映画が作られました。カメのバートくんというキャラが、「もしもミサイルが飛んできたら、さっと物陰に隠れて(duck)、頭をかばえ(cover)」と教える。

要は旧ソ連の核ミサイルに対する不安と恐怖を煽るためのものなんですが、彼らにとって核ミサイルは大きな爆弾という認識で放射能のことなどわかってない。だからこそカメのバートくんのアニメを子供時代に観ていた世代は、ヒロシマ・ナガサキは戦争の早期終結のためだったなどと今も信じ込んでいる。核兵器の特異性がよくわかっていない。

まったく同じことを今、日本で教えているというのは不思議な気分になります。なぜなら北朝鮮の弾道ミサイルの威力について、政府とメディアは、なぜか積極的に広報しない。現状では搭載量は通常火薬で500kg程度ですから、小さなビルが半壊するかしないかです。ところが多くの人は、ミサイルが落ちてきたら東京が火の海になるなどと本気で思っている。

もちろん通常火薬で500kgでも、人的被害の可能性はあります。さらに1発だけということもありえないから、備えは必要です。でも被害規模を誰も想定しない備えなど、何の意味があるのでしょうか。カメのバートくんと同じレベルです。

尊徳 僕はまだ、いずれはみんなも気づくだろうと希望も持っていますよ。「これは、こういう理由でおかしいんだ」と主張したときに「尊徳さんは情報量が圧倒的だから、そういうことがわかるんですね」と言われることがあるけど、そうじゃない。感覚としておかしいよな、と気づくことは誰でもできるはずなんです。

集団化によって多数派になろうとする力は強まることもあるかもしれないけど、その逆だってあり得る。一人ひとりが愚民であっても、大衆は"賢"になり得るんだから。「こんなのおかしい!」と声を上げるようになるかもしれない。

「政経電論」のような発信を続けているのも、自分で考えることの重要性、そして考えるための材料になるような情報を伝えたいからです。

尊徳

フェイクニュースは悪だが、100%真実のニュースもない

尊徳 しかし、『FAKE』の公開が2016年。この1年で、「フェイクニュース」に代表されるように、ずいぶん"フェイク"という言葉を聞くようになりましたよね。

 『FAKE』というタイトルは撮影中に思いついていたんですが、配給会社には反対されました。英語タイトルは客が来ないらしく、違うタイトルにしてくれと。ならば「何か提案してくれ」と言ったら「『達也と守』とか『ネコとケーキ』はどうですか」と。

尊徳 確かに劇中に何回も出ていましたけど(笑)。

 当然却下です(笑)。情報にもフェイクがあるんだと知ることはリテラシーの基礎です。しかしフェイクという概念が突出すれば、それに呼応する形で"トゥルース(真実)"が突出する。この事態に今、かなり危惧を感じています。

尊徳 本当は、あらゆる情報にフェイクの部分もトゥルースの部分もあるのに。

 ええ。そんな簡単に分別できるものじゃないのに、分別できるという意識を持つのは危険です。最近、週刊文春が注目されていますが、文春の新谷(学)編集長がインタビューで、徹底した現場主義で真実を探すとの趣旨で話されていた。

基本的には同意します。現場は何よりも重要です。でも現場に行って自分が見たり聞いたりしたトゥルース(真実)に揺るぎない自信を持つことも、やはり危険だと僕は思います。

真実は見方によって変わる。記者Aが行ったのか、ライターBが行ったのかでは全然違うわけです。写真も同様ですね。例えば国会で政治家があくびをしている写真。その政治家をこき下ろすときによく使われる。でもあくびくらい誰だってします。その政治家もずっとあくびし続けているわけではない。

要するに事実のチョイスです。つまりトゥルースは主観であることが多い。そこから逃れられない。それはまず前提にして、トゥルースに対しての"後ろめたさ"もくすぶらせながら、現場主義を徹底して自分にとってのトゥルースを探してほしい。

もちろん、新谷さんや週刊文春に、その意識が無いとの指摘ではありません。一般論として、真実はひとつであると自信を持つことの危険性を言っています。

尊徳 「うちの報道は100%真実だ」と言い始めると、後ろめたさは消えてしまいますね。

 そうすると、メディアが正義になってしまうと危惧します。

尊徳 戦前、朝日新聞を含めて、大日本帝国万歳だった状況が思い出されますね。治安維持法や報道の統制もあったけど、みんなが同じ方向を向いていた。でも、今はネットがありますよね。

既存のマスメディアとは違う情報を得ることができるというのはネットの利点のひとつだと思います。もちろん、ネットには功罪どちらもあって、それこそフェイクニュースはネット発のものばかりですが。

 昨年の米大統領選でマケドニアの若者たちが広告収入欲しさに、トランプ支持層が喜びそうなフェイクニュースをネット上にどんどんアップしていた。選挙後にそれがわかって、話題になりましたね。

それこそ20世紀初頭に、音声メディア、映像メディアが誕生したとき、誰もが「このメディアが発達すれば世界はもっと平和になる」「格差や差別は無くなる」「理想的な社会になるんじゃないか」と思ったら、逆だったわけですよね。

尊徳 メディアに煽られて、分断され、争いが起きて。

 ネットも同じですよ。ネットが出始めた頃は「ネットという夢のメディアによって世界がひとつになった」と多くの人は思ったけれど、現状は逆に動いています。もちろん「アラブの春」(※)のような事例もあるけれど、「イスラム国」(IS)はネット戦略で世界に不安と恐怖をまき散らしている......。

集団化ということは、集団の散在、つまり多くの集団による分断化でもある。そうした状況にネットが寄与していることは間違いない。

※アラブの春:2010年~2012年に中東で起きた大規模な民主化運動。衛星放送やSNSによって瞬時に広範囲に情報が伝わり、多くの大衆を動員する要因になったといわれている。

トゥルースに対しての後ろめたさも必要

自分たちが賢くなればネットはより重要なメディアに

尊徳 ただ、最近は「アルゴリズムがおかしい」と思い始めた企業が、YouTubeの広告宣伝を引き上げるというニュースもありましたね。だから、全体としては、浄化の方向に向かっているとは思いますが。

 そうですね。僕たちにとって情報は、もはや水や空気のようなものです。いくら汚れたとしても、害があると理ではわかったとしても、絶対にもう手放せない。だったら、どうすればキレイにできるか、役に立つようにできるかを考えるべき。その可能性はあるのだから。

まず、SNSのアルゴリズムについて理解していないユーザーは意外と多いですよね。画面に表示される情報空間は、自分の趣味嗜好や思想信条に合わせてカスタマイズされているのに、これを公共空間の縮図だと思ってしまう。

尊徳 本当はシステムがその人好みのものに調整しているのに。

 反自民の情報ばかりをクリックしている人のネット空間には、反安倍的な情報が多くなる。もちろん逆もいえます。こうしたメカニズムに、多数派と一緒になりたいとの集団化の心理が重複する。ならば分断は進行するばかりです。

尊徳 ネットやSNSの特徴がわからないままに情報を得ようとするからそうなってしまう。昨年の暮れから今年の始めにかけて、DeNAが運営するキュレーションメディアが炎上して、その危うさが露呈しましたね。実際、医療系の誤った記事をうのみにして、被害を受けた人もいる。

僕は出所の不明なものには疑いを持って見るしかないと思っていますが、「その情報は誰かが責任を持って発信しているのか」という視点でチェックすれば、情報に踊らされることはなくなるはず。誰が書いたかわからないって、匿名のネットの掲示板と変わらないじゃないですか。

 ソーシャルメディアとの付き合い方を考えるために、僕は「もしも関東大震災のときにSNSがあったら」という思考実験をすることがあります。地震の後、新聞が「不逞鮮人(ふていせんじん)が暴れている」と記事を書いた。治安当局はそんな事態がないと把握していたけど、記事を見た人たちが"自分や家族や同胞を守るために"多くの朝鮮人を虐殺した。

もしあのとき、SNSがあったらどうなったか。より一層デマが広がって悲惨な事態になったという見方もできますが、同時にSNSは"火消し"の機能も持っています。

尊徳 そうですね。東日本大震災のときも、デマが飛び交うと同時に、「そんなのデマだ」と発信する人もいました。

 文化大革命やルワンダ虐殺、ナチスのホロコーストやスターリンの大粛清など、シミュレーションの要素はたくさんあります。今の中国や北朝鮮のようにネットを制限されてしまえばどうしようもないけれど、情報は必ず網の目をくぐります。

尊徳 災害時に電話回線がパンクする一方、Twitterで連絡が取れたなんて話もありますから、やっぱり功罪、両面があるんですよね。

 ここまで普及した以上、いまさらネットを無くすとか、使わないようにするなんて無理です。どうやったらもっと賢く使えるかを考えなきゃ。僕たちがもっと賢くなれば、ネットはより重要なメディアになり、大きな貢献をしてくれるはずです。

※第3回「多面的で、多層的で、多重的だからこそ世界は素晴らしい」は7月20日に公開予定。

佐藤尊徳プロフィール佐藤尊德(さとうそんとく) 1967年11月26日生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。1991年、経済界入社。創業者・佐藤正忠氏の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。雑誌「経済界」の編集長も務める。2013年、22年間勤めた経済界を退職し、株式会社損得舎を設立、電子雑誌「政経電論」を立ち上げ、現在に至る。著書に『やりぬく思考法 日本を変える情熱リーダー9人の"信念の貫き方"』(双葉社)。
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