日本理科学工業 大山会長追悼記 続き
2019.04.15
その他
0コメント今でこそ、社内の7割超が知的障碍者の方で、それでも黒字経営を続けている日本理科学工業だが、初めは2名の知的障碍の少女の雇用からだった。それも、「かわいそう」だから。
僕はそのように正直に話をできる大山会長を本当に尊敬していた。人間そんなに簡単に割り切れるものではない。いろんな経験を重ねてきたからこそ、本当の意味で障碍者雇用に関しての理解度も深まっていったのだろう。
社員の熱意にもほだされ、二人の少女を雇用した大山会長は、一つの社会貢献くらいに思っていたのだが、それでもなんとなくしっくりこない。
悩みを抱えながら、ある時に禅寺のお坊さんに質問してみた。「どうして彼女たちは働くのでしょうか?そのまま施設に入れば衣食住も与えられるのに」と。
そのお坊さんはこう答えた。「人間の究極の幸せは、愛されること、褒められること、役に立つこと、人に必要とされることの4つです。愛されること以外は、働いてこそ得られます」と。僕はその言葉を大山会長の言葉として忘れない。
このお坊さんの言葉で、大山会長はハッと気づき、これから障碍者雇用に力を入れるようになった。確かに衣食住が足りて、施設に居れば不幸ではないのかもしれないが、究極の幸せを味わうことはできないかもしれない。
それは、何度も日本理科学工業に足を運び、働いている彼らを見た僕にはわかる。とても彼らは生き生きしている。一心不乱に単純作業を繰り返すが、それに誇りを持っているようにさえ見える。僕らが見学に入ると自慢気に作業にかかる。そんな彼らの姿に美しささえ感じてしまう。
大山会長の所に養護学校の先生が何度も訪ねてきて、禅寺のお坊さんが隣に座ったのも偶然ではなかったように思う。この仏様のような大山会長の天命だったのだろう。
それに感銘を受けた僕らはその遺志を引き継いでいかなければならない。メディアの役目だ。飛び飛びになってしまって申し訳ないのだが、続きをまた書いていこうと思う。まとめて政経電論でもう一度記事にしよう。