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編集長ブログ

安倍総理追悼

2022.07.10

その他

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何をどう言っていいか分からない。恩人である安倍晋三元総理が亡くなった。まだ実感が湧かないが、無念としか言いようがない。

気持ちの整理がつかないこともあり、思い出話を書き連ねたいと思う。

安倍氏との出会いは今から20年ほど前になるだろうか。小泉内閣で官房副長官として、若手のホープと言われている時だったと記憶している。ホテルオークラで、前職の幹部3名(僕も含む)と昼食を摂った。

僕はその政治家としての姿勢に魅了され、安倍氏を囲む会を作った。3ヶ月に一度、経済人10名強のメンバーと会食を共にした勉強会を発足させたのだ。

それからあれよあれよという間に政治的な出世をされ、いつの間にか、小泉総理の後を受けて総理になってしまった。なってしまったというのもおかしな表現だが、それほど彼は日本の政治家としては若くして総理大臣になったのだ。自民党幹事長を経て、官房長官からそのまま総理に、他の大臣を歴任せずに総理になるのは珍しい。

現職の総理は多忙を極める。僕らは囲む会を開催するのを遠慮して、一時休会にした。

その一年後、参議院選挙で大敗し、潰瘍性大腸炎が悪化して突然の辞任を発表。安倍氏の政治的な復活はないと囁かれ、後から本人に聞くと、たくさんの人が手のひらを返したように去っていった、と。

僕はその人柄が好きだったし、総理時代のオフレコの話は興味が深すぎた。メンバーに声を掛けて、囲む会を復活した。メンバーの人たちは、離れる人などなく、3か月に一度の会がまた始まった。再度総理に返り咲くなどは誰も思っていなかったが、安倍氏を応援しようとみんなが思っていたのだ。

その中の一人、元大王製紙会長で僕の大親友の井川意高氏が、「そんとくさん、メンバーの方々は僕らよりも年上ばかりで、総理にとっても気を遣うような年齢の人ばかり、僕らだけの気軽な会もやりませんか?」と提案してきたので、勉強会の他に、若かった僕らだけの食事会も3か月に一度ペースで開催することになった。

こちらの会は本当に興味深いものだった。少人数で、オフレコの話が満載だったから。日米首脳会談の裏話や、各国首脳の印象など流石に公にはできない話を聞けた。

安倍氏が辞めた後の総理は総選挙に望む事ができず、福田氏、麻生氏(任期満了が近づいたので解散はしたが、結果は惨敗)と続き、とうとう自民党は政権の座を民主党に明け渡した。タラ、レバはないのだが、自民党政権がもし続いていたとしたら、安倍氏の政権返り咲きはなかったかもしれない。

民主党政権は、最初の期待が剥げ落ちていき、結果的に東日本大震災がとどめを刺すことになった。有事の対応に批判が集まり、菅直人政権のあとを受けた野田佳彦総理も支持率を回復することはできなかった。いよいよ、衆議院の任期も終わりに近づき、自民党は政権奪還のチャンスが訪れた。野党の総裁として谷垣禎一氏が奮闘していたが、解散前の2012年9月に自民党の総裁任期終了による総裁選が行われた。

総裁選が行われる前の6月だったか、僕が声がけをして茅ヶ崎スリーハンドレッドクラブでゴルフをした。メンバーは安倍氏、僕のお師匠さんである、幻冬舎の見城社長、大親友でネクシィーズの近藤社長、そして僕だ。ホールアウト後の19番での食事の時だ。総裁選の話題になった。

僕が「(安倍)総理、総裁選出馬の噂がありますが、お出になるのですか?」と率直に聞いた。付き合いは長いので、それくらいは普通に聞けた。「出るつもりです」と総理の返答。「ここで負けてしまったら政治生命が終わってしまうじゃないですか」と僕。「やり残した事があるので、ここで勝負します」と言った総理は下馬票を覆して、その後総裁に返り咲いた。

後に僕は謝った。「差し出がましいことを申し上げました。僕が間違っていました」と野党の総裁室での話だ。「そんとくさんだけじゃなく、みんな反対しましたから」と変な慰めをもらったが。

政治家たるもの、勝負する時にはしなければいけない。権力は待っていても巡ってこない。誰もが負け戦と思っていたが、一世一代の勝負に挑んだからこそ、安倍氏はその後、憲政史上最長総理になるのだ。

直近まで総裁だった谷垣氏は、幹事長で支えてきた石原伸晃氏の出馬により、党内をまとめられなかったという理由で不出馬になった。総裁を支える立場の幹事長が総裁を差し置いて出馬するというので、麻生氏が「平成の明智光秀」とぶち上げ、当時国民的に人気のあった石原氏の当選はおぼつかなくなった。総裁選中の失言などにより、大失速したことも落選の原因だが、そもそも総理の器ではないのは、僕が公言した通りだ。直近の総選挙で落選したことからも、議員の器でなかったことは証明された。僕の私見が入った。

閑話休題。

本命の石原氏が失速したことから、急浮上したのが、石破茂氏だ。党内では安倍氏、国民的には石破氏の一騎討ちの様相になった。本命不在で混戦になった投票は、決選投票になる。

党内人気のなかった石破氏は、決選投票で安倍氏に逆転される。全てに運を引き寄せた安倍氏だが、運が良いというのもリーダーの器だ。この勝負感こそ、その後の安倍氏の真骨頂だと思った。総理就任後、衆議院任期中の2度の解散で(僕は憲法7条解散・天皇の国事行為は総理の解散権の濫用だといつも主張するが)、総選挙を大勝し、戦後最長の総理への礎を築くのだから。

この時に僕は痛感した。政治の世界をずっと見てきたが、本当の政治家の勝負時をまだまだわかってないな、と。

2度目の総理就任後に教えてもらった事がある。付き合いのある人たちを青、黄、赤色に分けたらしい。青は1度目の総理時代から変わらずに支えてくれた人たち、黄色は2度目の総理就任後に近くなった人たち、赤色は、1度目の総理を辞めた時にあっさりと手のひらを返した人たち(2度目に返り咲いた時、ちゃっかりと連絡の来る人多数)。当然、赤色の人たちは相手にされない。

幸いにも、僕らは青色に分類されているらしい。ただ好きで、お付き合いを継続させて貰っていただけなのだが、その後もすごく大事にして頂いた。

僕が全勢力を注ぎ独立して作った電子雑誌の政経電論では、創刊号に表紙を飾って巻頭インタビューに答えて頂いた。後に「どんな雑誌かもわからないのに、よく引き受けて下さいましたね」と聞いてみると、「そんとくさんが作る雑誌なら、エロ本ではないでしょ。信用しているので」と笑いながら答えて下さったのも印象的だった。

野のものとも山のものともわからない電子雑誌が、この総理の表紙のおかげで、どれだけの信用力をもたらしたか、計り知れない。総理就任時の功績は僕が述べる必要がないほど、各社が報道しているので割愛する。

政経電論第一号

その後も、総理公邸にお呼びくださり、食事をすること数回。用事があって、携帯に電話をすれば必ずコールバックを下さる律儀な方だった。思い出話をあげたらキリがない。

今度ゆっくり食事をしましょう、と参議院選挙が終わったら日程調整に入るところで鬼籍に入られてしまった。

心よりご冥福を祈りたい。

合掌

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佐藤尊徳

株式会社損得舎
代表取締役社長/「政経電論」編集長

佐藤尊徳さとうそんとく

1967年11月26日生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。1991年、経済界入社。創業者・佐藤正忠氏の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。雑誌「経済界」の編集長も務める。2013年、22年間勤めた経済界を退職し、株式会社損得舎を設立、電子雑誌「政経電論」を立ち上げ、現在に至る。著書に『やりぬく思考法 日本を変える情熱リーダー9人の”信念の貫き方”』(双葉社)。
Twitter:@SonsonSugar
ブログ:https://seikeidenron.jp/blog/sontokublog/

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