55年体制ごじゅうごねんたいせい
戦後の日本で長く続いた保守一党優位の政治体制のこと。1955年、左右両派に分裂していた日本社会党が統一し、3分の1の議席を獲得。一方、保守陣営の自由党と日本民主党も合同して自由民主党が発足し、3分の2弱の議席を獲得。ここに、社会党が代表する「革新」と、自民党を代表とする「保守」の対決という構図ができあがる。
当初は政権交代の可能性を秘めた2大政党制の到来も期待されたが、常に自民党が衆議院の3分の2弱議席を占める状態が続き、社会党を中心とする野党勢力は自民党のおよそ半分にすぎないため「一と二分の一政党制」とも呼ばれた。
自民党による長期政権は、高度経済成長を実現した半面、汚職が続発し政治不信を招くようになり、1988年のリクルート事件や1992年の東京佐川急便事件で国民の政治不信が頂点に達する。
同時期、羽田孜氏・小沢一郎氏たちによる新生党、武村正義氏・鳩山由紀夫氏らによる新党さきがけなど、自民党から離党した議員が相次いで新党を立ち上げ、細川護熙率いる日本新党とともに“新党ブーム”を巻き起こす。
1993年の総選挙で自民党は大幅に過半数を割り込む結果となり、野党第一党の日本社会党も惨敗。総選挙前の連立協議に基づいて、新生党、日本社会党、公明党、民社党、社会民主連合は、日本新党の細川氏を首相とすることで合意。1993年8月9日に細川内閣が成立し、自由民主党は結党以来、初めて野党となり、38年間続いた55年体制は崩壊した。
今にして思えば、55年体制は日本人にとって心地良かったんだと思う。世の中は「資本主義 vs 社会主義」、「経営者 vs 労働者」というわかりやすい構図で、それぞれの組織内でヒエラルキーがはっきりしていて、エリート官僚が国の舵を取って高度経済成長も実現した。
ただ、ある特定の者たちが権力の座に長くいれば、政治腐敗は進む。55年体制下でも、特定分野に強い族議員と省庁が自分たちの権益のためだけに動き、政治はどんどん腐っていった。
政権交代論者の僕から言わせれば、心地良い55年体制が崩壊したのは当然であって、腐敗した政治が長く続くわけがない。それより2大政党制を実現して、適度な緊張感を持った政権運営ができる政治システムにした方が政治腐敗を避けられると思う。
経世会の内部抗争に敗れた結果ではあるが、小沢一郎が自民党を飛び出して細川政権を作ったのは、大きな功績だと思っている。好き嫌いは別にしてね。